2010年12月7日火曜日

イリュミナシオンin LONDON



この世に産み落とされた瞬間から、まるっきりの歪んだ偶像に取り囲まれた。1999年、世紀末、阪神大震災、アンドロメダの大王、オウム真理教、地下鉄サリン事件、電子ネットワーク、情報化社会、ミクロ権力、蔓延る精神病と異常者たち、悪魔のアメリカ、自作自演とやり玉をあげられるエンパイアステートビル…すべてが嘘のような風景で、信じがたかい、到底認めたくない救い難いはりぼてのような世界観であった。それらは社会の歪みが産んだ恐るべき魔物そのものであるといえ、まったくの嘘っぱちを無理矢理強要し、常に自分たちのレベルにまで引き落とそうと躍起になる。それらを誤ったものとしてすべて頑に撥ね除けてきた。

アントナンアルトーはこの世は黒魔術の要塞だと言ったが、現実にいまここで、この瞬間でさえ、アルトーが言ったその「呪いの要塞」は複雑に電信し、絡み合い、0地点へと決して回帰することなく、生命の運動機能を失った世界の循環機能は、ますます救い難く絶望的なものとなっているということをまずここに書き留めておかねばならない。いつの時代もよりいい時代というものはない、だが、密度に変化はあり、より革命は実現不可能で絶望的となる。既に発覚したときには末期状態であるということを一体誰が指摘したのだろうか?いいや、何度も指摘はなされたのだ。例えば、フランスの作家ルイ=フェルディナンセリーヌ。

セリーヌは対独ナチス協力者だったって?反ユダヤ主義者だったって?うるせえやい!!そんなことは全く問題にならない。議題にあげる必要性すらないのだ。殆どのフランス人はセリーヌが嫌いだって?そりゃあそうだ、セリーヌは君らの矛盾に満ち満ちた視点を怒りと呪詛によって丸裸にしようとしたのだから。狂った神のような熱病に冒されながら遥かに超越した視点で罵詈雑言を機関銃のようにぶっ放し、人類と真っ向から対峙した!!歪みから産まれた存在…ああセリーヌ…世界の不幸をひとりで背負ってしまったなんて…なんてことだ!!こんなチープなおとぎ話みたいな劇を閉幕させたいよそりゃあ俺だって、ブラックホールに突っ込んで、惑星をポケットに仕舞い込んで、あばよ!あばよ!なんて愉快なことだろう。崩壊後の大いなる神々に「白痴」の笑いを…ジーザス!!A votre sante!!!

大陸や空間、今や宇宙の領域にまで至る所で感染した糸屑のようなアルトーが告発した「呪い」、四方八方を覆い尽くし、その世界の調律線は今後ますます複雑にそれぞれが電通電信し、その電波の激流を塞き止めることはもはや不可能なのだろうか?

いいや、そんなことは決して認めてはならないのだ!!断じて認めてはならないのだ!!!

私はロンドンに行った。幾つかのセンセーショナルな出来事、幾つかのビデオ、そしてイリュミナシオン!!

資本主義の歪みの象徴都市ロンドン、死んでいる冷たい都市ロンドンが熱気と過信をさらに相乗させ、覚醒させ、革命にとり憑かれたイリュミナシオンの道化人形は宙に擡げたように過去の亡霊たちに操られ、彼らと共に過去を横断しながら、一個の死体をより明瞭に発見した。

この紛れなき確信の啓示、ダンテの地獄篇、煉獄篇、天国篇へと続く旅路はニーチェ的な意味である神の死から白痴の蔓延る網膜剥離のような恐るべき病の失明や記憶喪失、呪いの要塞都市アルファヴィル即ち電子ネットワークまで、夜を切開するメスのように一刀両断され、ここ数年間というもの崖から突き落とされ、あらゆる障壁に敗れそうになり、老いたるわだつみで溺れ、赤子のように呼吸困難に陥っていた。

然し嫌なことばかりでもないのだ、両断された断面は飛び抜けて美しいものである。遺留された情報の数々は眩き、目映い色彩を独力で放ち、万華鏡の内部のように、時に夢のような世界観が投影される。亡霊たちのオーケストラはシステムの音感から孤立しており、論理化されていない裸の楽譜のページを引き千切り、ポケットにしまう。極めて感慨深いものである、さすがにこの時ばかりは思う、あの日のトロツキーのように「人生は美しい」と。

苦しくも死刑が執行されてしまった、鈴木創士氏がトマスによる福音書の一文を引用して(イエスは言った、世界を知ったものは一個の死体を見つけた、その一個の死体を見つけた者、世界は彼にふさわしくない。トマスによる福音書より)指摘したように世界にふさわしくない、ジャックヴァシェ、ジャックリゴー、アルチュールクラヴァンのようなダダの自殺者たちが、私に世界の十字架を放棄しろと叫び、沈黙するということへの確信へと導いたのだった…生活でダダを実践した驚くべき本物のダダイストたち!!唯一、ダダイストであった彼らは何をする時でも頭の中に常に喚きかけ、反芸術という旗印を誇示させようとし、彼らにとり憑かれ、尊敬し、憧れ、それらの亡霊たちを背負い、すべての生き方を放棄させようとした。

何が正しいかって?反芸術?自殺への呼びかけ?モーリスパレス裁判のリゴーを信じろって?クラヴァンとあの革命家トロツキーはアメリカ行きの船で一体何を話したのだろうか?どういうことなのか、判断なんか出来るはずもなかった!!そんなこと分かりっこない!!だが、現在、私はグルになって降りかかってくるあの疎ましき社会の死刑執行人ども、それらの「呪い」にどうにか耐え、それを受け入れ、辛うじてその赤子は老いたるわだつみの中からどうにか這い上がり陸地に辛うじて立ち、進化したのだ。

そして、私たちは膨大な負の系譜の末端として、イリュミナシオンという私たちの映画を通して歩行を始めた最初の人類である。そしてこの事実は電子化され、記号化されているネットワーク上での世界の同時性ということと絶対に切り離すことは出来ない。






splinters directed by yokna patofa

世界の電波情報局を通して、秘密の亡霊配達人たち、尊く猛々しい尻尾の亡霊馬車、空間の裂け目で配達していることを黙しながら、誰に気付かれることなく全うに職務を遂行している。

ああ…愛しき馬たち、幽玄なる毛並みは魔法の道しるべに手紙を遺して、それらを今宵も受け取るだろう。

そう、誰かが貴方を呼んでいる、私が私を呼んでいる。

HELLO!!YES!!HTRK!!!

紛れもなく時代の最先端にいるHTRKのビデオを私たちは撮った。
ヨクナはこのバンドに出会うことが出来て本当に幸運だと思う。






HTRK http://www.myspace.com/htrk(発音:ヘイトロック、またはHate Rock Trioとして知られる)は、2003年にメルボルンで活動を始めた。

前身バンド、Portraits of Hugo Perezの解散後、ベーシストのSean StewartとギタリストのNigel Yangが、The Birthday Partyのようなプロジェクトを作ることを目的として
ボーカリストのJonnine Dを新たに加入させた。ただし、スローペースの機械的な反復(散在するプリミティブなドラムマシーンのループと、Jonnineの叩くパーカッションの儀礼)、ゾッとする程に冷たい幽玄なエレクトロニクスのウェイヴ、耳をつんざくギターのフィードバック、を伴うものとして。

過度なスローテンポ、両性具有的なボーカル、執拗な反復と、極端な大音量のパフォーマンス、といったバンドの美学は、当時メルボルンでピークに達していた80年代のガレージロックのリバイバルシーンと衝突した。この状況は、バンドがメルボルンからヨーロッパに拠点を移す、国外脱出を促した。

三人はノイズロック、シューゲイザー、実験的なエレクトロニカといったすべてのものへの愛を追い求め、ベルリンへ向かった。彼らはそこで、EPをレコーディングすることとなる。借りた機材で録音された一つのライヴ・テイクは、バンドの妥協のない演奏を接写した、ドキュメントとなっている。
 ‘Nostalgia’は、500枚限定でバンド自身の手でリリースされたが、バンドは批評的な注意を引きつけ、イギリスのレーベル、Fire Recordsから2007年にEPを再リリースした。

二年後、Blast First Petite(Suicide,Pan sonic,Alan Vega,The Slits)とサインをし、三人は彼らのデビュー・フル・アルバム‘Marry Me Tonight’を、神出鬼没のメルボルンのプロデューサー、LindsayGravinaの手によってレコーディングすることとなる。その後、偉大なるRowland S Howard(The Birthday Party&The Bad Seeds)が制作に参加し、また、時に、自身がギターとしても加わることになった。

Marry Me Tonightは、それまでのバンドを定義していた、荒削りのインダストリアルな反復を犠牲として支払うことないまま、より洗練された、最新式の作品として完成した。

written by Yokna Patofa

HTRKの繊細なチューンは冷たい都市ロンドンにとてもよく似合う。HTRKは同時代性ということを私に最も意識させるバンドである。ICAでのライブは率直にとても哀しみに満ちていた。都市の哀しみ、記号であることしか生存出来ないある種の諦めのようなものを感じ、スペクタクルの要塞都市ロンドンを横断して、HTRKのベーシストのSeanはベルリンで自殺してしまったのだった…ロンドンから逃避して、ひとりでSeanは哀しみと対峙していたのだろうか?あまりに悲しすぎるじゃないか!!

3rdALBUMはSeanのベースラインで制作されることが決まっている。Yoknaはアルバムのタイトルは「work work work」と言っていた、なんて皮肉なんだろう…。黙るしかないよ…もう…。vocalのJonnineは最期でSeanに向けて何かを捧げていた。何を言ってるか聞き取れなかったんだけど、もの凄い終末的な喪失感を感じた。秘密の暗号のようなものだったのだろうか?後で撮ったビデオを観てより一層…。観客の何人かは泣いていた…。

彼らはきっとこの時期にライブなんてやりたくなかったのかもしれない、Seanに対する責任と使命で動いているような気がした、決して抗えない大きな動きの中で。そして今後もその動きの中から彼らは逃れることは出来ないだろうか?私にはよく分からない。私は何も語るべきではないと思っている。ただ、ひとつ言えることは彼らの繊細な領域に土足で踏み入るわけにはいけないのだ。そんなこと絶対にしてはならない。思い出も何もかも…触らずに放っておくしかないのだ。それが礼儀だ。

ある友人の音楽家が私に言ったことを思い出す。本当にどうしようもないこと、取り返しのつかないことは生きているだけでとても多く、そのような罪の意識はだんだん自分自身へ還り、それがより一層人間を寂しくさせるのだからと…

哀しげに反響するメロディアスな質感、都市をつんざき横断する冷たいJonnineのボイス、そして死者たちの声が、seanのbassが軋み、nigelのセンシティブなギターが応じる、死者たちに干渉してはならない、死者たちを名誉づけてはならない、死者たちの思い出を改竄してはならない、死者たちのことを語るとき最善の礼儀を尽くさなくてはならない、死者たちはすべて知っている、それゆえあなたのことも、周りを取り囲むすべてを死者たちは知っているのだから。








情があるうちは私たちはまだ生きていることが出来るだろう。
いや、本当に生きていると言えるのか?
だって私たちが立っているこの惑星のことすらもまだ誰も知らない。
誰もが本当に生きているかどうかさえ何も分からないのだ。

(HTRKのビデオに関してはヨクナパトーファが最後の曲の映像を基にディレクションし、現在編集をしているようです。)



そして NEUROTIC MASS MOVEMENT
http://www.myspace.com/neuroticmassmovement








ロンドンでの日々の半分くらいを彼らの家で滞在させて貰い、本当に頭が上がらない思いでいっぱいだ。
メンバーのイェンはとてもパワフルで、魅力的だ。とにかく激しい感情を飼っていて、とても優しい。
デイヴィッドはシチュアシオニスムを信仰している、とても知的で、素晴らしいブルースのギタリスト。
カルメンはイングリットカーフェン顔負けのもの凄い美人で、スピリチュアルで、もの静かでマリアみたいだと思った。



ヨクナの人徳もあり、家におしかけてしまい、ビデオを撮らせて貰い、やれキスしろだの、やれ映画に出ろだの、考えてみれば無茶苦茶ずうずうしいことをしてしまった…。イェンにユーアーファックマン、ユークレイジーと言いまくられたし、イェンはエキサイトしてデイヴィッドとも喧嘩しまくってたし、めちゃくちゃストレスが溜まっていたのだろう笑

カルメンとイェンがキスしているところをメインにビデオを撮ったのだけど、後でデイヴィッドにヨクナがめちゃくちゃ怒られたらしい。それはとても美しいシーンだと思ったのだけれど、ソフトポルノはアートではないと、セクシャリティを安易に扱うことはとてもチープだと。確かにその通りだと思い、勝手に舞い上がって馬鹿なことをしてしまった、ヨクナと二人で凄く反省した。ポエジーであるということは確かに重要なエッセンスだけれど、もの凄く基本的なことで、必ずそこになければならないものだ。ポエジーであって、構造的であり、尚かつ革新的でなければならない。ポエジーであるだけでは説得力を持たないし、大きな壁を打ち壊すことは出来ない。しかし、同時にポエジーは最も重要で、魅力的な感覚だとも思う。

このビデオに関してはヨクナとディスカッションして、実験映像として、足りない部分を追撮して完成させようと思う。そして、来年きちんと予算を組んでPVを撮りたいとヨクナと話す。



デイヴィドとカルメンにイリュミナシオンに出演して貰った。それぞれが特徴的な素晴らしいシーンが撮れた。
カルメンは天性の女優だった、氷点下の寒空の下でワンピース一枚で立たせても愚痴ひとつ零さないし、ヨクナがした奇抜なメイクも彼女はとても気に入ってくれ、町往く人びとを吃驚させながらも、とても楽しんでいる様子で、本当に可愛いと思った。彼女のような人とずっと一緒に仕事をしたかった。

そして別のシーン。ウェストミンスター寺院でモーゼの滝のような奇跡的ショットが撮れた。
イリュミナシオンすることが出来た。

そして、少し準備期間を設けて、次のシーンの撮影に入ります。

私は革命への地道な努力をしているし、革命への可能性を信じています。

「十一月、第三の日、破壊が照射される。
第七の日、破壊が光を放って爆発する。
苦しめられし者は全世界に対し認知されし者、啓示を受けし者となる。」

アントナン アルトー

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