2019年12月26日木曜日

知ったのはもう随分前のことにはなるだろうか?宙を地に還す為にもね。御覧の有様だよ!ひでえ饐えた臭いだ!焼けつくタイヤが焦げた様なにおいだ!まったくひでえ!・・特に忸怩たる態度ではおらず、いつもの様に路上で気どってやがるのだから。もう、とっとと殺し屋の的に俺はなりたいわけだ、的は向こうのほうから少しずつやってくるのには気付いているが、早々簡単には手に入らねえみたいだ!なあ兵隊さんよ!隊列位置に倣え!さあ早くその見せかけの銃で頭をぶっ放してくれ!どうせくたばっちまうんだ構いやしねえ!幼少期・・・何の血痕?・・・時は止まっていると思っている?馬鹿な!止まっているのは貴様だけだ!変化のないものが優れている?ありもしねえのに?てんで冴えねえ泣き虫の行進!甘ったれの蟻キチガイどもだ!要はヨハネの時代からアルトーの時代を経て我々の時代に至るまで何が変わっているかと言うと、より「呪い」が近くで見えるかどうかということだけだった。近眼か老眼かの違いのようなもの。全くそれだけ呆れ果てる!その呪いとは人が物を所有した段階から始まり、言語はお遊び半分に切り離され、領地で遊泳し、意識下でコントロール出来ると自惚れ、人々は実体を無闇に増やし、自己と他者という極めて主観的であり、曖昧模糊とした、全くイメージにすぎないご大層な関係をつくりだした。大きなものから小さなものへと、大きな権力から小さな権力へと、大きな少数の実体から小さな不特定多数への実体へと、時代が進行していくに辺り、複雑に組織化され、それがどれほど危惧すべきであることか?・・・ととうの昔に記者たち(よく見る亡霊のジャーナリストのことでは勿論ない。)は語っていた。真理は埋没する、多数の屍が覆い被さることによって!いずれにせよその呪いから脱却するのは到底不可能であり、「呪い」とは古くは言葉そのもので始まり、メディアが発する虚偽のミクロ権力の乱立や微々たる情報の害虫のことであり、世界を橋掛ける巨大なひとつの脳のことでもあり・・・・・・・・・・・・・・・・ああ・・・糞食らえ・・ああ糞食らいやがれ!そういうわけで、芸術もくだらないということを俺は知っている、芸術でどうなるものでもない、疎ましい害悪にすぎないと発覚しより鮮明に見えるだけだ、どれもこれもが予兆なく飛び込んでくる!鏡に映ったひでえ虚像に今日もまた目くばせしてまた嫌なにおいがしてくる、どいつの糞だ?それすらも分かりはしねえのか!おお、到底食えやしねえ脳、あるまじき脳、鬱陶しい消えちまえ、鼻を殺いでしまうべきだろうか兄弟?鼻を殺ぐにはどうすればいい兄弟?

泥川の中でアンプルを探しだしひとさしの純血を注入する為には。
同時に芸術しかないことも知っている。

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