2009年12月29日火曜日

2009年度総括

神聖なる者たちは薄暗い精神の墓場への一本道を救いを求めて力なく行進する。 死者たちと鉢合わせることになるその一本道は地獄への境界線と一瞬交差する。
「この世に向いていない」という烙印を背中に押され、
ただまるで成す術もなく彷徨する麻痺の土地へと続く行軍である。

新宿へ車を走らせる、もうクタクタだった、誰にも会いたくねえ、九官鳥にだって喋りかけたくねえ。1300円が全財産だった、何度数えても1300円、それで何が出来るというのか馬鹿らしい車内でひとり大笑いする、落ち着き涎を袖で拭く。velvet under groundのHeroinが流れる、相反して脳内麻薬のアドレナリンが分泌する、upperの高揚がすべて罪を犯しやがる夢遊病者の様に導かれる高層ビルの冷たいアスファルト、寒いガタガタ震える意識なき顔なきシステムに構築された都会のコミューンへ阿片窟だったらいいのに。主演女優のNさんがいた、「監督の言っていることがまるで理解出来ません、行動にはすべて意味があるしそういう演出をすべきです私じゃなくてもいいんじゃないですか、何で私なんですか」そう別にあんたじゃなくたっていいのだ俺はあんたの顔と身体と声さえあればそれでいいのだ、精神を形成しコントロールするのは俺の仕事だ、機械みたく頷いてりゃそれで一向に俺は構わんわけだでなければ俺のここまでやった仕事は凡て破滅する、全く無意味であるわけだ、説得力さえありゃあ上手くいったが・・それが俺にはなかった。意識的な演技は演技であって演技でないそこに立在する肉体には何の価値もない、偽者の稚拙な滑稽なサーカス・・ただの哀れな虚構のひとつに過ぎないわけだ、この世が構築する下らんシステムのひとつに俺の映画が一緒にされることだけは我慢がならなかった。映画の本質は音と場所と映像にあるわけだ、それらの物質的条件がすべて混ざり合い 初めて飛びぬけた映画の真実の様相を見出せる。しかし、それは同時に奇跡に近い手品とも言えるだろう。偉大なる手品師寺山修司に俺はなれなかった、勿論俺は寺山氏ではないから当たり前だし、全く違う生き方であるから当然だが、スタイルに通じるものはあったからだ。役者個人の自意識なんぞ糞くらいやがれ、あんた自身には何の価値もない、ただ邪魔になるだけという事が何故分からんのか、そしてそこで構築されたもうひとつの世界に我々は捲き込まれなければいけないのであり、突き抜けた精神の変容は、死者たちと秘密の場所、声、肉体を通じて様々な奇怪な現象を巻き起こす、その瞬間に派生する美を映像を通じて俺は切り取りたかった、しかしその前にぶっ壊れやがった。当然かもしれない、誰もがひとりの人間であるわけだから。そんな苦行はお笑い草だろうよ。狂気そのものを表現するということは、同時に墓場に片足を突っ込むことになるわけだ。そんな馬鹿みたいなことを必死こいてやろうとした俺だけがまたひとつの地獄を見ちまったわけだ。

スタッフのKに電話する。「主演が降りちまった・・もう駄目かもしんねえな、これからばあさんのとこ行って金を無心しにいくつもりだったんだけど、もう意味ねえな映画は御陀仏なわけだし。とにかくA子が東京駅に来てるらしいから迎えに行ってくるよ。」Kが低い声で頷く、弱きなか細い小鳥の遺言、ああ完全に終わっちまった。無鉄砲極まりない強行撮影で金は完全に尽きた、仕事は失った、知人の何人もが周りからいなくなったもう何もかもどうでもよくなった、5年ぶりだしばあさんのとこには連絡しちまったし顔を出そうそれから今後のことを考えよう、A子を助手席に乗せ、世田谷に向かう。沈黙であることの苦痛、空気の裂け目、ワイパーが動くフロント硝子が淀んでいる。悪魔の溜息。「ねえ、普通に映画撮りたいから金を貸してくれって言っても、貸してくれないよ、あんたの映画なんかばあさんにしてみたらクソ以下の価値なわけだし。結婚するってことにして、お金借りたら、別に嘘でもちゃんと返せば問題ないわけだし、そうしようよ。はい、オッケー。」革ジャン、紫のタイツ、キングクリムゾンのアルバムのデザインである鼻のでかいクロンボのTシャツ、オレンジに脱色した髪の毛・・これがA子の様相相変わらず頭が沸いてやがる、こいつには常識が全くない、どこの世界にこんな格好で縁談に行く馬鹿がいるわけよ、頭が痛いおまけにバルビツール酸系の眠剤をやっていて呂律が回ってない、こんな状態なら金はどちみち借りられなかったなと・・思った。「映画はもう終わったからいいんだよ、ニコニコ愛想振り撒いて馬鹿みたいに頷いてりゃあいいよ、問題なし。金は借りない。」「はぁ?じゃあ行く意味ないのに、なんで行くの?お前はすぐ簡単に諦める根性なし。行きたくないんだよ、私。」「約束したから行くんだよ、最低限の社会のマナーは守ろうぜ、この先生きていけねえよ。」「分かったから、早くしよう、疲れてるし。」世田谷のばあさんの家に着く、ばあさんがお腹が空いてるだろうと梅干のおにぎりと納豆の海苔巻きを出す。俺は直ぐに平らげる、A子は一向に食おうとしない。ばあさんが聞く。「なんで食べないの?お腹空いてないの?」「私、納豆と梅だけは食べられないんです。口に入れると蕁麻疹が出るんです。」ばあさんが不機嫌そうな顔をするから代わりに俺が平らげる。「あなたは仕事何をしてるの?」A子はその時はスナックで働いていた、何をしてもすぐ辞める、俺が知る限りでは30も職は変えている。「えっ?いやーあの、食べ物をつくっています。って言っても食べられなくて、レストランにある見本分かりますか?硝子ケースに入っている、あれです。南瓜のヘタとか茄子の漬物とかトマトとか、トマトの色は難しいんですよ躍動感が出ないから、だから私は手先が器用なんです、それだけが唯一の取り柄です。」ばあさんが怪訝な顔をする、こりゃあヤバイとっとと引き上げよう。しかし、ばあさんも呆けているんだもう80だから。「そうなの?仕事は何でもやり続けないといけないよ、私は40年も公務員をやって、この家を3000万で買って40年も働いてお爺ちゃんと二人で貯金して、3000万でこの家を買ったのよ。」「すごいですね。尊敬します。キュウリも難しいんですよ、ちょっと曲がってるじゃないですか色を塗るのもそうだけど、粘土の材質もきちんと選ばないと、キュウリは作れないんです。」「だから、私は40年も働いて、3000万円でこの家を買って・・・」「すごいですね。尊敬します。ハンバーグとかの焼き物も難しいんです、色を選ばないと立体感が出なくて・・」「40年もひとつの所で働いて、お爺ちゃんと二人で貯金して・・・。」「すごいですね。尊敬します。塗料は普通のところで売っていないのです、業務用のところでないといい色は売っていないのです。」「この家を3000万で買って、ひとつのところで40年も働いて・・。」「すごいですね。尊敬します。きつねうどんが何の材質で出来ているか知っていますか?あれは特殊な粘土です・・」「お爺ちゃんと二人で貯金して・・。」

ぶっ壊れてやがる・・完全にぶっ壊れやがった・・どいつもこいつも気が狂ってる、このやり取りは2時間も続いた。ばあさんは呆けているから同じ話を何度も、A子はラリってるから食品の見本の話しかしねえわけだ。現実と虚構の境目、狂ったまぼろしの境界線、迷路に迷い込む、この空間を俯瞰から見下ろしてピエロがピエロを演じまたそのピエロがピエロを演じる、終わりなき責苦の芝居。頃合いを見計らって何とか席を立ち、車に乗り込む、ばあさんが精一杯の笑顔で見送る。「なんで君は同じ話しかしないわけ?すごいですね、尊敬しますって何で機械のように反芻するわけ。アレンジして違う褒めかたすりゃあいいのに、幾らばあさんが呆けててもおちょくってると思われるぞ。」「ホントにすごいと思ったんだから、他に言い様なかったの。おちょくってたわけじゃないよひとつのことを続けるのは尊敬するでしょ、しないの?」「するけど、もっと頑張ってアレンジはしようよ。」「そのアレンジってどういうこと?」

A子の友達の医学生が吉祥寺に来るというので、吉祥寺で合流する。三人で井の頭公園の池を阿呆の様に見つめ、ベンチに座り、買ってきた玩具の風船を膨らます。空っぽの頭でひとつの作業に没頭する、死人の瞬き、煌く空虚な夜空。「何で医者になろうと思ったの?」と俺が聞く「私を馬鹿にした男どもを社会的に抹殺したいから、金と権力が必要なの。」と医学生。「馬鹿にしたって何?そんな酷いことされたの?」「マリア様の像の下で私は犯されたのよ、馬鹿な二人の男に、膣に雑草と煙草の吸殻を詰め込まれた。あいつらに復讐する為に頑張って勉強して、やっと医学部に入ったの、社会的に抹殺したい男どもは腐る程いる。」「それで抹殺したとして、その先に何がある?そんなことに価値があるのか?」「君むかつくね、あんたは五番目に殺すことに今決めた。」その刹那、A子が叫ぶ、医学生の背中に幽霊を見たとのたまう。何でも40代くらいの青白い顔の眼鏡をかけた男の幽霊、すると俺の目の前で木の葉が飛蝗みたいに飛んでいるいくつもの木の葉が何枚も半円を描いて飛ぶ、断じて風ではない、風など微塵も吹いていなかった、驚き三人で呆然と立ち尽くしていると、背後の池から足音が、確実に聞こえる何人もの足音呼び寄せた死者たちを確実に、誰が?俺だろう、この頃確実に開けてはいけない扉を開けてしまったのだ奇怪な出来事が何遍も身の回りで起こった、この世ではやってはいけないことがある、暴いてはいけない踏み入れてはいけないひとつの空間がある車のミラーがぶつけてもいないのに立て続けに2度も割れた、列車の飛び降り事故を目の前で見た、気味の悪い無言電話は毎日続いたやめろやめろやめろうねる様に断続して続く輪廻の中で死者たちの声が響く、次第に生気と気配は失せてくる。そして、A子たちと別れて、ジュネの本を片手に家には帰らず代々木公園付近を塒に一週間放浪した、ひとつの所に居続けるその単純なことさえ出来なくなるほど精神は病み疲れ果てた、誰とも話したくなかった、ベンチで寝ていると男が俺の肩をゆすぶり聞く「ここは野鳥が寝ているので、他に行って寝て貰えますか?」ごめんなさいと謝り急いで他の寝床を探す、野鳥・・どういうことだ?俺が寝ていて野鳥に迷惑を掛けるだろうか、そんなことは絶対にない。クソッタレ、どいつもこいつも狂ってやがる、こんな世はいずれくたばっちまう、消滅の手を委ねられるのは誰だろうか、少なくとも病人どもではないはずだ。

その後は家に帰り、求職活動し何故か面接に受かり、とある広告会社で営業兼制作として働いた。どこにでもある地味な会社、辛うじて社会に接することで日々邪気と妙な殺気は少しずつ消え失せていく。以前から馬鹿にしていた小劇場の役者であった先輩に滅茶苦茶虐められる、皮肉なもんだ世界はこうやって回っている、屈辱を売って対価を得る日々。暇を持て余すことないように一生懸命働いた。3ヶ月目に社長に呼び止められて、飯を一緒に食いに行く。「お前、何でそんな墓場にいるような顔してんだ?借金でもあんのか?相談なら乗ってやる、何でも話せよ。お前になら幾らでも金は貸してやる、幾らだ?100万か?200万か?」「借金はないですよ。例えあってもそんなことは全く問題になりません。社長を含め、潜在的にどいつも犯罪者であることに問題があるわけです。社長もAさんもSさんもこの僕も皆例外なく犯罪者です、気付かずに人を陥れてるわけです、それがどういうことか分かりますか?それは世間的に悪人と見做されている人よりよっぽどタチが悪い、悪人は理由がなければ、人を殺しませんし、物も盗みませんし、人を陥れるということもしないしかし、あんたも僕も会社と言う権力に隠れて気付かずに人を殺し、物を盗み、人を陥れるわけです、理由なき犯罪をすることに何の意味がありますか?そんなこと全くクソ以下です、僕もあんたもクソ以下の下衆野郎だ、食べれるだけあればそれで満足でしょう?違いますか?クソ以下の詐欺師の下衆野郎どもはくたばるべきです、この世からくたばっちまえばいい、年の功だ、あんたが率先してくたばりやがれ!!!」
社長は怒りもせずに本当に悲しそうな顔をしていた、闘うべき対象は社長ではなかった、完全に悪態をつく相手を俺は間違えてしまったわけだ気に掛けてくれるだけ有難いものだ、下衆野郎とはまさしく俺のことだったわけだ、次の日から会社に行かなかった。

急いで航空券を買ってラオスに飛ぶ、日々麻痺に逃避する、静脈の亡霊と化すわけだこいつで俺の仲間たちは人生を狂わせちまった、人生果たしてそんなもんあるかどうかも疑問だがジャックリゴーの言う様に生きる理由などありはしない、かといって死ぬ理由もない、我々に残された、軽蔑を表す方法はただひとつそいつを受け入れることだ。ラオスで泊まった下宿先は酷かった、目の前で沢山の蟻が壁を這いずり次第に寝床にまでその蟻どもは押し寄せ俺を悪夢に陥れる、叩き潰せども叩き潰せども悪の巣から奴等はやってきやがる。また下宿の大家である老婆もまた酷いもので胃が爛れた口臭もさることながら容貌は魔女そのものだ。毎晩子供の尻を酷くぶっ叩き泣き叫ぶ声が部屋の壁にまで浸透して小刻みに震える。隣の部屋の老人は末期癌かいずれにしろ酷く重い病で、薬の小瓶を片手に持ち夜中に廊下で支離滅裂な独り言を呟きながら小便を垂れ流し這い擦り回るまさにキチガイの生き写しだ、アメリカのビート作家ウィリアム・バロウズによく似ていて、ここにも亡霊はいたわけだ。笑っちまうよ。この外道と共に二日間嘔吐の責苦を味わいつつも何故かくたばらなかった。くたばろうと思ったのにくたばらなかった。時間、時間、それぞれの存在、すべてそれらが矛盾しているということをただ責苦の中で考えた。

俺の仲間たち・・彼らは何をしているだろうか、顔中ピアスだらけのI子はトレイシーローズに似てすごく美人で明るかった常にピョンピョン跳ねていた4年前にチェコのブラハでくたばった、誰にも看取られることなく、静かにくたばった。その彼氏だったSは3年前から全く消息不明I子がくたばってから完全に気が狂っちまって、メキシコ人のオカマと同棲していて、一度家に遊びに行ったが、そのオカマに犯されそうになったから行っていない。生きてるか?S?俺はあのオカマが嫌いなんだよ、お前が嫌いなわけじゃねえ。知ってるか?Kは2年前にくたばっちまったぞ、新木場の路上で車に轢かれて御陀仏だよ、運転手も捕まってない、まったくひでえ話だ。この世の殆どはひでえ話で溢れてるがまあこれも例外に漏れずだ。Nはあんなにひでえシャブ中だったのに、奮起したぞ、今じゃ大層ご立派な職業についている、俺も吃驚だよ。今じゃ偶に会うのはあいつぐらいのもんだよ。ただ、あいつは何者かになっちまった。何者でもないのはもう俺だけだ。

常に何者かであろうとした俺たちは結局何者にもなれなかった、何者にもなるべきではなかったからだ。何者かであろうとすることは、社会に溶け込まれやがてひとつのゴミ屑と化す。何者かであることに向いてなかったと知っただけだ。それでいい、今後も何者にもなりたくない。

何者かであろうとする奴等は勝手にしやがれ!!そんなレッテルを俺たちは軽蔑し、鼻から眼中にはなかった。そうだろう?何かがあるから、それを表現する為に、筆を取ったり、カメラを手に取る、それがすべてであるということ。ジュネだって、アルトーだって、リンチだってゴッホだってそうだろう。何かがあるから、そのひとつを表現する、その時間の中に常に俺たちは存在していた。それ以外はすべて有り得ないし全く価値はない。

それを分かってない奴等を例え世界が認めようとも、俺は絶対に認めねえ、表現舐めんなよ!!そこの貴様のことだよ!!覚えとけ!!それが明確に分かった以上社会とは完全に交わることを拒否する、こんな世はどうせ何れくたばっちまう、そんな奴等に愛想を振り撒く価値などまるでないわけだ。困窮の迷路はまだ続く、死者たちとの秘密の触れ合いを通じて、複雑に絡み合う思想の異空間で彷徨い続ける。何を生むか、何も生まずに流産するか、いつかくたばるその時まで暴れよう野郎ども。2010年に活動は続く。