知ったのはもう随分前のことにはなるだろうか?宙を地に還す為にもね。御覧の有様だよ!ひでえ饐えた臭いだ!焼けつくタイヤが焦げた様なにおいだ!まったくひでえ!・・特に忸怩たる態度ではおらず、いつもの様に路上で気どってやがるのだから。もう、とっとと殺し屋の的に俺はなりたいわけだ、的は向こうのほうから少しずつやってくるのには気付いているが、早々簡単には手に入らねえみたいだ!なあ兵隊さんよ!隊列位置に倣え!さあ早くその見せかけの銃で頭をぶっ放してくれ!どうせくたばっちまうんだ構いやしねえ!幼少期・・・何の血痕?・・・時は止まっていると思っている?馬鹿な!止まっているのは貴様だけだ!変化のないものが優れている?ありもしねえのに?てんで冴えねえ泣き虫の行進!甘ったれの蟻キチガイどもだ!要はヨハネの時代からアルトーの時代を経て我々の時代に至るまで何が変わっているかと言うと、より「呪い」が近くで見えるかどうかということだけだった。近眼か老眼かの違いのようなもの。全くそれだけ呆れ果てる!その呪いとは人が物を所有した段階から始まり、言語はお遊び半分に切り離され、領地で遊泳し、意識下でコントロール出来ると自惚れ、人々は実体を無闇に増やし、自己と他者という極めて主観的であり、曖昧模糊とした、全くイメージにすぎないご大層な関係をつくりだした。大きなものから小さなものへと、大きな権力から小さな権力へと、大きな少数の実体から小さな不特定多数への実体へと、時代が進行していくに辺り、複雑に組織化され、それがどれほど危惧すべきであることか?・・・ととうの昔に記者たち(よく見る亡霊のジャーナリストのことでは勿論ない。)は語っていた。真理は埋没する、多数の屍が覆い被さることによって!いずれにせよその呪いから脱却するのは到底不可能であり、「呪い」とは古くは言葉そのもので始まり、メディアが発する虚偽のミクロ権力の乱立や微々たる情報の害虫のことであり、世界を橋掛ける巨大なひとつの脳のことでもあり・・・・・・・・・・・・・・・・ああ・・・糞食らえ・・ああ糞食らいやがれ!そういうわけで、芸術もくだらないということを俺は知っている、芸術でどうなるものでもない、疎ましい害悪にすぎないと発覚しより鮮明に見えるだけだ、どれもこれもが予兆なく飛び込んでくる!鏡に映ったひでえ虚像に今日もまた目くばせしてまた嫌なにおいがしてくる、どいつの糞だ?それすらも分かりはしねえのか!おお、到底食えやしねえ脳、あるまじき脳、鬱陶しい消えちまえ、鼻を殺いでしまうべきだろうか兄弟?鼻を殺ぐにはどうすればいい兄弟?
泥川の中でアンプルを探しだしひとさしの純血を注入する為には。
同時に芸術しかないことも知っている。
2019年12月26日木曜日
e2047(一部抜粋)
確かに純粋には違いはなかった、目を輝かせてモダンなダンスパーティーでシャンペンをご婦人方と飲んだ、ポケットに研磨された宝石を忍ばせて誰にも見つからないように手で覆い隠して、死者たちは急ぐ、到底待ってはくれずに、いつも置いてきぼりにされて、死者たちは忙しい、草原の向こうで正体は光の渦でぼやけて、目は霞む、君たちは何処を見ていた?同じ空を見ていなかった?確かに俺たちは一時期接触していた、君たちは髪の毛を部屋中に撒き散らして、痕跡だけを遺して、また何処かへ行ってしまう、催眠術にかかったように隔意の空間で空虚に一人力なく吠える、既成の事物すべてを全否定するこの脳内麻薬の暴君の無謀さに君たちは呆れているだろうか?俺の無駄な足掻きを盗み見て笑っているのではないだろうか?俺にだって分かっているさ、でももう麻痺の日々からは足を洗った、現実が確かにそこにあるからだ、君たちの過去も確かにそうであったように、今でも君たちの血反吐を時折目にすることがある、それは駅の改札であったり、横断歩道の白線であったり、神社の境内であったりもする、君らの消せない匂いを感じるからだ、威嚇し、発狂し、最期まで闘った戦友たちは当然の様に存在の痕跡を遺した、とりとめのない空気の中で写真のフィルムのように切り取られたあの光景を消せやしない、俺は君たちを心底愛している、過去の呪われた先駆者たちも同様に愛している、彼らの肉体から放たれる魂の響きが唯一の真理であること、それは彼らだけが所有し得るスタイルであり、新たな歴史の誕生という激動が彼らを葬り去ってしまう前に、彼らの真理を早急に証明しなければならない、これは最も価値を置くべき急務である、何故ならそこにしか現実は有り得ないからである、既成の事物を凡て蔑ろにし、軽蔑し、徹底的に塵ひとつ残さず掻き消す、孤立無援の白城を建立し、システムの凡てが無意味極まりなく、個人を排他する由々しき害悪であることを有象無象に伝達する、疎ましい害虫どもから嘔吐される酸は存在意義を模造し、個人を駆逐し、麻痺させ、何者かであることが重要な縦社会の虚像を生み出し、その見えざるカーテンの中で人形劇をしているに過ぎない、何者かが何者かを操り、その何者かはまた別の何者かを操る、この負の復讐劇は極めて無計画で無謀であり地軸そのものを少しずつずらし摂理は絶えず蝕まれ続けている、それがどれほどのことであるか、この膨大な繋がりの系統は危機的状況にある、操る者、操られる者は、それぞれ有限的であり、やがてその対象を失くすか或いは性格的に遺伝的に環境的に劣等を受け継がれた者は社会で確たる地位を築くことが出来ずに、そのある種の欲求不満から個人それぞれが独立した虚像の楽園(自己同一性異次元)を生み、意識、記憶、感情、その他自己を形成するありとあらゆる者は、それぞれ分裂化し、湾曲し、やがて膨大な狂気の坩堝として世界に君臨するだろう。そこでは判別不能、取捨選択不能、記憶や存在の表出と消滅、乱れ、混乱、錯乱、カオスそして狂気の織成す世界、そこではありとあらゆる感情、出来事、歴史、記憶が複雑に混ざり合っている、つまり自己と他者の垣根は無くなり、個人は熱狂的に行末を知ることなく自己同一性異次元に迷い込み、それぞれ個人が何者であるか、存在証明がまるで出来なくなる、個人は個人でなくなると同時に、当然既存のシステムはまるで機能しなくなり、およそ50年以内に世界はその症状が顕著になり息を引き取り、やがて人間社会は終焉を迎えるだろう。(フランシス・フクヤマの提言した歴史の終焉を私は真っ向から否定する。歴史は終焉したのではなく、弁証法的に退化し、新たな歴史が始まったに過ぎない。)その証明すべく必死に闘った、過去の偉大なる先駆者たちは狂人と見做され、現実社会から隔離され、見えざるカーテンの中で静かに死刑は執行された、彼らは同時に偉大なる預言者でもあったからだ、その世界の終焉の光景を確かに見ていた、それはこのゲームを維持し続ける為には非常に都合の悪いことであることは言うまでもないだろう、常に権力(この言葉を本当は使いたくないのだが、私は実のところその存在すら認めたくないのである。)が真理を葬る、権力の外にしか真理は生存出来ず、勢いよく燃え盛る炎は油(生命意義)を決して与えられず徐々にその力も弱くなり、疲れ果て、地面に灰となる。結局のところ、生まれるべくして生まれた彼らは血痕を遺し、異臭を放ったまま、成果を上げられず、絶対的少数故にこの世で生存することが出来ない、末路は発狂するか去るかであることは必然的責務である、現実に目を叛けることが不可能であるから、時に薬物(阿片系統)に瞬間的な麻痺を求める、そして、墓場の中でも行き場が無かった彼らは、大陸を橋掛けて今もその魂はあるべきところで彷徨っている、セリーヌの墓石に否(ノン)の一言が刻まれ、時を同じくして、何塊の魂が彼を快く迎え入れたであろうか?絶対的強者であると同時に絶対的弱者でもあった彼らは、尊き、美しき、可憐で、孤高の深遠なるその瞳はあらゆる邪気を吸い込み、毒物を吐き散らすかのように彼らは作品に全生命をぶつける、その様相は殆ど亡霊と変わりがない、不確かな現状に肉体を痛めつけられ、困惑しながらもその拷問を受け入れ、いずれ去るべき葛藤と戦争している、世界の果てをこの目で見ながら、ゼリーのような合成加工物が血走り溶ける、空間から略奪され炎症が起こる、生きる意味がないことを知りながら虫を磨り潰した苦い笑い、実際に意味は何物にも何びとにも存在しない、ただ呼吸をし、学問やら仕事やら家族やら宗教やらに縋りつき欲求を消化しているに過ぎない、手の震え、血液循環機能、まるっきり無用の生物、有限物と無限物の違いは何かに影響を与えるか否かにしかその隔たりはない、どちらが有能であるかは敢えて言うまでもないだろう、本来不動の物であったはずの無限物が支配と被支配の関係性により変化するその常用的循環機能は極めて深刻である、本来ならば天変地異により神の見えざる手においてのみ変動は唯一そこに意義ないしは尊厳を見出せるのである、処罰は気付いていないだけで、あらゆるところで起きている、これは紀元前より存在する渦中の問題であるが、今更議題にあげる必要性はないのかもしれない。実は私はここでまず宣告しておくが、本来不可思議であり絶対不能であったはずの領域にまでふとしたきっかけで時折侵入することがある、それは本来不透明であったはずのあらゆる事物の裏側の関係性を透明にする。物凄く恐ろしいことだ、狂気じみた複雑に絡み合う因果を解き解そうと躍起になっているのだが、それは並大抵のものではない、私の熱気と過信は凄まじく竜巻のように流動し蔓延るあらゆる虚構を裸体に等しき存在にする、その度に肉体は悲鳴を上げ、疲労困憊、精神薄弱、私は何ら死体と変わりはなくなり、身近にある物を手に取ることすら面倒になる程病むのである、その交信は秘密の支配人に伝達され、至極内密に水面下で執り行われる、その領域での裁判の判決は有罪であるか無罪であるか瞬時に判別され、電信として私の耳に届く、このいわば真理の情報が肉体に働きかけ、まるっきり生産に労力を割くことが困難である、それは私にしか知り得ない情報であるから、分ち合える限られた友人たちを大事にしてきたが、彼らはその迷路で疲労困憊し、やがては臨界点に達し、偶然性を匂わせてその秘密の循環機能を塞き止めてしまった、今や孤独の船人と変貌を遂げた私は当然の様に何者とも分かち合うことが出来ず、独り孤独に彷徨い続けている、不可能性を可能性に変換する妖術を最近になり認めることが出来たが、並大抵の道程ではなかった、屍の山を踏み歩いて、悪魔の鈴の音を鳴らし、引き裂かれる悪夢の数々は到底認めたくないリアリティであったからである、舵を獲りこの無益な海域からの脱出を何度も試みたが、徒労に終わった、よく訓練された機械犬が私の手を阻むからである、彼らは即座に駆けつけ私の企みを寛解させる、嗅覚は異常である、過去の戦友たちの文書を熱読し、攪拌させることが辛うじて執り行われるリハビリであり、その効能もたかが知れている、無限の狂想は臨界境に達し、胡麻粒の如き兵士たちは透明の撒菱をそこいら一体に仕掛け、その罠に嵌ることは数知れず、万古不易の陵辱である、飛沫をあげ硫酸のような魔液は憔悴させる、支離滅裂な獣道は一方通行で退陣を許されない、希望は腐敗し高床式倉庫の隅で異臭を放っている、その穀物が喉を通ることは極めて稀である、大抵は嘔吐に苛まれる、その嘔吐(もど)された言語は理性により種類判別出来ず脳の隙間にこびりつき、不変動の悪意の塊としてその存在を誇示し続けるのである、最期の晩餐を私は常に待ち侘びている。然し脳内地質の断面は飛び抜けて美しいものである、遺留された情報の数々は眩い色彩を独力で放ち、万華鏡の内部のように、時に夢のような世界観が投影される、化け物どものオーケストラはシステムの音感から孤立しており、論理化されていない裸の楽譜のページを引き千切り、人間存在に支配されず、極めて感慨深いものである、さすがの私もこの時ばかりは思う、あの日のトロツキーのように「人生は美しい」と、ゆるやかな光の階段を駆け上ると幽閉されていたはずの亡霊たちは詩を歌う、私も暫し時を忘れて一緒に詩を歌う、この死者たちとの接触が私の中で大変有意義な時間であり、僅かな息抜きとなっていることは言うまでもないだろう、彼らは何者にも束縛されておらず、自由奔放であり、不可逆性の時間の中で孤高の存在として永遠に鼓動している、私は彼らを非常に尊敬している。無限性と有限性が入り乱れ交錯し、何かに我を忘れる程、夢中ないしは苦悩するならば、無限性が心の暇となることは紛れもない忘れ難き事象である、無限に走り抜ける馬たちよ、尊く猛々しい尻尾の亡霊配達よ、空間の裂け目で配達していることを黙しながら、誰に気付かれることなく全うに職務を遂行している、ああ愛しき馬たちよ、幽玄なる毛並みは魔法の道しるべに手紙を遺して、悪夢の因果を、時を駆けることで水晶の如き透明な小川へ変化させ、新たな価値を見出す可能性を生む、つぶらな瞳はあらゆる邪念を払い除け、魂は未知なる領域に置き去りにされ、近付くものを呪詛し続ける、暴れ狂う黒い球体、飲み込まれ、血管に興奮物質を投与される、到底信じるに値しない気違いじみたプロパガンダを、境界線を張り聖域をつくれと申すのだ、世界の終わりはやってくる、それを救えるとしたら、神聖なる者たち(狂人たち)であり、彼らを保護し、活躍の場を与えなければならない、彼らの情報を消すことは許されないと。尤も、賛成も反対も、肯定も否定も、愛も侮辱も、同じように納得出来ない根拠がある以上、彼らに永遠に安定は存在しないのかもしれないが。私情や階級意識に駆られる愚かさを瓶の底に沈め、彼らの尊いアイデンティティーを祀り上げ、顔なき顔にその魂を埋め込む、一蓮托生の灯火、圧縮された荘園で共に生きようと決意を交わす、脳内で繁殖された微視的降下物はその助けとなるだろう、つまり、増殖しつつあるその細胞はサバイブする豊かさを教えてくれる、幾何学的根拠は何もないのだが、印象的にその光の軌道は湾曲なく、うっとりする程一直線で、あるべきところまで我々を運んでくれるだろう、プロペラ機はかつて人力であり、絶えず墜落する不安を掻き消すことは出来なかったのだが、今や己の想念のみで愛しき楽団を従事させ、物体の移動は瞬時に事をなし、もはや肉体のヒエラルキーは役に立たず、衰弱し、知識人たちは哲学の真理を追究する、構築の裏側を否定的に見つめ、果実を剥く仕草を経て、いずれオーラ放たれし楽園の林檎を再び勝ち取る何者かが現れるだろう、ニーチェの永劫回帰論はこの範疇においては有意義であった、瞬間、瞬間を重ねることが歴史の構築であることは間違いがないが、あるべきところに導かれた暁には進化も退化もせず輪廻転生し、無限性の時間は等しきものに違いはないが、容貌、細胞、生命意義は全く異なり、我々は別の様式を重んずるようになる、つまり、好意的に解釈すべき価値そのものは流動することを厭わないのである、善悪の彼岸は反逆し、家畜は家畜であるはずのアイデンティティーを失い、また他の者たちも特権意識を同様に失う、つまり、物体遺伝が発生し、本来閉じ込められていた無機質性物体は即実的に別の意味を持ち、活動は顕著極まりなく、世を牛耳るべき大きな手の存在意義は別の大きな価値を生むだろう、生命は生命の時限装置としてしか生きられなかったはずのその有限性は、反して無限の意味で解釈可能になり、本来限られていたはずであった時間経過により発生する腐食ないし腐敗は起こり得ないのである、幾何学価値の変動で、あるべきところは無限領域として知るべからざる存在たちの効能で繁栄を博し、一方でこの世は走馬灯のように現在のスピードを遥かに超越した領域で流動的に価値基準が瞬く間に変動し、何を持ってしても真理とは到底成り得ず、疑心暗鬼が増幅し、所有する事物もアイデンティティーも全くの無用の長物となる、足並みを揃えることは出来るはずもない。
「価値観が変容して私たちは・・どうなるのですか?亡霊と変わりない、個人それぞれが空虚な器で生きること、それは快いものなのですか?残余が絶えず入り込み、入念に防衛したとしても、その進入を防ぐことは出来ないということでしょうか?」
「狂人たちの右腕を見よ。常に己のみが利口であったということ。真理を失うことは恐ろしい、我々は何を捨ててでも、徹底的に美意識を保持しなければならない。徹底的に闘って。勝利の旗を苦肉の土地に立てることは不可能に近いがね。それでもやらなければならない理由がある。」
「ええ、それでは、美意識とは?真理とは?己のみにしか存在し得ません。客観的に伝達することは不可能です。何とおぞましいことでしょう。気違い沙汰だ、誇大妄想に違いない、あなたは狂っている。理性なき人間はこの世で生きる術をまるで知らない。恐ろしいことです。」
「社会で生きる為の理性の効能は理解している。それを捨ててもやる価値がある。君は物事を直線で見ることしか知らない。バロウズも言っていたように我々は物事を特殊な角度で見なければならない。快楽を知る為に、そして真理を知る為に、規制の凡てに反抗し、裏側から暴く必要があると言う事だ。」
「バロウズ?ウィリアム・バロウズ?あいつはただの気違いの薬中じゃないですか。到底、まともな生き方を学んできた人間ではありません、オカマのインテリ屋の屑野郎です。裏側から暴く?正気じゃない、理性の効能を最大限に生かすべきです。それがより良い生き方なのではないですか?」
「生き方に良いも悪いもない。その既成の価値基準に当て嵌めること自体がまるっきりナンセンス、てんで話しにならんね。静寂の暗闇で瞑想し、立ち向かう準備をすべきだ。私はそう見做したくないが狂人にしか真理は知り得ないし、レールに載っているうちは何も分からない。疑うことなくして、共謀を暴くことは出来ない。我々はあらゆる既存のシステムを破壊しなければならない。システムの外側にしか価値あるものはない。」
continue...
「価値観が変容して私たちは・・どうなるのですか?亡霊と変わりない、個人それぞれが空虚な器で生きること、それは快いものなのですか?残余が絶えず入り込み、入念に防衛したとしても、その進入を防ぐことは出来ないということでしょうか?」
「狂人たちの右腕を見よ。常に己のみが利口であったということ。真理を失うことは恐ろしい、我々は何を捨ててでも、徹底的に美意識を保持しなければならない。徹底的に闘って。勝利の旗を苦肉の土地に立てることは不可能に近いがね。それでもやらなければならない理由がある。」
「ええ、それでは、美意識とは?真理とは?己のみにしか存在し得ません。客観的に伝達することは不可能です。何とおぞましいことでしょう。気違い沙汰だ、誇大妄想に違いない、あなたは狂っている。理性なき人間はこの世で生きる術をまるで知らない。恐ろしいことです。」
「社会で生きる為の理性の効能は理解している。それを捨ててもやる価値がある。君は物事を直線で見ることしか知らない。バロウズも言っていたように我々は物事を特殊な角度で見なければならない。快楽を知る為に、そして真理を知る為に、規制の凡てに反抗し、裏側から暴く必要があると言う事だ。」
「バロウズ?ウィリアム・バロウズ?あいつはただの気違いの薬中じゃないですか。到底、まともな生き方を学んできた人間ではありません、オカマのインテリ屋の屑野郎です。裏側から暴く?正気じゃない、理性の効能を最大限に生かすべきです。それがより良い生き方なのではないですか?」
「生き方に良いも悪いもない。その既成の価値基準に当て嵌めること自体がまるっきりナンセンス、てんで話しにならんね。静寂の暗闇で瞑想し、立ち向かう準備をすべきだ。私はそう見做したくないが狂人にしか真理は知り得ないし、レールに載っているうちは何も分からない。疑うことなくして、共謀を暴くことは出来ない。我々はあらゆる既存のシステムを破壊しなければならない。システムの外側にしか価値あるものはない。」
continue...
e2047(一部抜粋)(4)
綺麗なハンカチを片手に持って咳き込みながら森の奥深くまで歩いていくその美しい少女は、木々の根を指でなぞり真っ暗闇に怯え足を止める、溢れる涙は固まりになりて土に響く静穏、竪琴のハーモニーに心は踊りステップを刻む、噤む口にオオカミは忍び寄り、か弱き足首を噛み千切る、薄い肌を牙で剥がされ内蔵は露になる、分断された肉体が闇夜に紛れて頭上から、木々から、箱舟から墜ちていく、涎は水晶と同化し眩い光は危機宣告のサイレンでもある、途方もない紅雀は指紋の血痕と共に命題の伝達役として機能する、歴史の始まりと共にそれは見えていたと、水滴を蒸発させ、烈火の如く燃え果てよ、灰が火の粉と共に舞い上がり粉塵となる、見えるだろうか、これが美しい世界の果てだ、歓喜余り涙に暮れ果てよ、靭帯は切断され身動きのとれぬまま、世界の果ての観劇をただ見つめるのだ、神聖なる者たちの労力も虚しく、ただ薄暗い精神の一本道で救いを求めて力なく行進する、思想なき軍人の幽霊どもと鉢合わせることになるその一本道は地獄への境界線と一瞬交差する、きみらの精神は崇高なものであった、ああ・・神聖なるものたちよ、懺悔の花束を贈呈しようじゃないか、時に報われない想いは美しいものである、仄かに香るパフォームのように女性の胸元を連想させよう、素晴らしい苦肉の連鎖は栄冠を勝ち取る憎悪の念を背にして、生花の象徴まどろむ夢世の枢軸を震える腕で枕元に置き、電波途切れるラジオのように聞こえる詠歌は情熱を掻き立てる、疫病は失墜を掻き立てる、獰猛は惨落を掻き立てる、イメージは消耗を掻き立てる、断層的人体の意識分身の軌道に位置する宇宙の様相は毀れるパン屑のようにそれぞれの魂を分散させる、未来なき惨事を宇宙的メカニズムの惑星に投影し、その危機なる信号は奇怪に犇き合い身の毛も弥立つほどである、汗腺はひらき余分な情報までも受信してしまい、選別する秘書は寝る間も惜しみ働く、これがすべてシステムの欠陥によるものだとは理解できずに、哀れなこと、ワイングラスの括れを片手に持ち隙間の真空の力を用いて横移動させる、魔術ではなく処世術生きていくうえでの亡者の魂胆は丸見えである、下僕は果敢に熱弁を奮うがまるで役には立たず、しどろもどろで便器に跨り汗を拭き宙を見上げ言語の飛来を心待ちにしている、それはすべて野望の為に、迎賓館で真っ白い股をして美人を見た夕べのこと、蕩ける唇は雨に濡れて妄想の最中で縦に切り裂かれるが、原因は完璧主義で潔癖であること、ああ・・偉大なる預言者たちよ、貴方がたはどの様な夕焼けをご覧になっておられたのでしょうか、木製のベンチに座り指を立て顳顬を抑えてどのような未来をご想像なさったのでしょうか、そこが仮に散々たる有様であるのならば自決を決心する勇気はお持ちになっておられたのでしょうか、食事中にコーンスープの中の石楠花を思わず見て喉も通らぬ日もあったことでしょう、花嫁の眼差しに邪気を感じた時にどのような決意をなされたのでしょうか、子供たちが縄遊びをする様を遠くから死人のように見つめ無駄な考えを巡らせておられたのでしょう、姪っ子のささやかな幸せを祝福し靴などを差し上げてご満悦な日もあったことでしょう、雨の日の泥沼で刑事たちの背中を見て槍を突き立てたいと想った日もあったことでしょう、隣人たちの滝の如き涙腺に感情移入しそっくり自分が入り込まぬように努力なさったことでしょう、火薬のにおい漂う駆逐艦に目を叛け頭を抱え床についた挙句水泡の夢をみられた日もあったことでしょう、貴方方がすべてをご存知であるならば、何故思想を広める努力を怠ったのでしょうか、それは貴方方の忌忌しき怠慢であると考えます、解放の手立ては曲線のように大陸を橋掛けて遠い山の向こうにあることそれは理解出来ます、ただ貴方方の取り巻く環境に融和してしまうことは絶えず頭に注意を呼びかけて禁止すべきであったと考えます、確かに目の前の蜂蜜に目を眩ませてしまうことはままあります、知性あるそして健全な精神をお持ちの貴方方であればそれを斥けることなど容易いことではないのですか、自己が齎す快楽に溺れてしまうことは絶対的に避けねばなりません、抜け出すことは業火を浴びる如く健全なる精神を陥落させ非常に困難の極みです、賢明な貴方方ならご承知のことでしょう、次世代に向けて血痕を遺すことが使命であるとお考えですか、いいえ違います、遥か向こうの終焉が歩み寄ることがご承知ならば丸ごとひっくり返すべきたったのです、ご覧下され現在の世相の有様をまるっきり酷い牢屋で毛虫に擽られるほうがまだマシなくらいです、すべてが貴方方の忌忌しき怠慢による帰結と言えるでしょう、血盟を分かち合い同志と共に社会的障壁打ち壊すべきであったと考えます、悪趣味にも天空の根城で小馬鹿にし、賭博の対象として世相を愉しんでおられるのでしょう、落魄れたものです、亡者に負けず劣らず諸悪の根源です、神に委ねられし才能を善の赴きにおいて最大活用し社会悪を抹消すべきであったと考えます、悪は体現化され遺伝され次世代の壁を通り越し足の裏から頭の先まで即座に染み渡ります、悪は罪を相乗させやがては組織化され集団は罪を覆い隠しありとあらゆる重大なる罪であろうとも一見するだけは判別出来かねるのです、それは実に見事な雲隠れであり創世記より発展したことといえばその技術だけです、他はすべて時の経過と共に下降線に傾き陳腐にも衰退する一方です、死者たちの歴史を蒸し返すつもりは毛頭御座いません、ただひとつの事実として提起する必要性はあるでしょう、我々が今後如何すべきかの判断基準として重要な指針となるからです、失敬それでは見えざるカーテンを閉めましょう、暗転閉幕、赤いビロードのカーテンの向こうで漫ろと白骨化した髑髏たちが目の窪みの奥から猫目の如く眼光を光らせて、確かに悟っているのだろう握り締めた泥土から見える漣の包帯の繋ぎ目が、関節の一皮向こうの伝達が、可憐な箱入り日本人形が、霊感と言えるか、第六感と言えるか、預言と言えるか、どれも違うだろう、それは微視的状態で判別した普遍的出来事の数々が蓄積された結果の必然的責務なのだろう、統計学的で形而上学的な物事の捉え方によれば、亡者どもの盲目的であることは何んと恐ろしいことか、目を瞑って遠くの飛行場まで逃避したい無駄であろうと、トリミングナイフを持って存在と痕跡を切り裂きながら神経を張り詰め、反して極度の緊張により足音は酸味のきつい林檎酢の様で気配を消すことがまるで出来ない、何故なら本質的には殺してもらうことを望んでいるのだから、畜生め、呼び寄せる匂いに釣られて影に障壁された詩人どもを、もはや苦笑しか齎すまい、引き攣ったこの笑いはなんて滑稽なのだ、ピエロがピエロを見てまた俯瞰から第三のピエロが凝視する、早いところ如何にかして完全に存在を抹消する計画を立てねば狂気に支配されるのは時間の問題である、ふと手を振られた気がした眼前にて、団扇を扇ぐ様なほのかな風が、「クソッタレ亡者どもだ」まだいやがった・・
あなたは何かしらの革命を夢みたことはあるのか?
すでに自分自身で解決し、諦め、革命という選択肢を捨ててるんじゃないだろうか?
生活の向上、労働意欲の賛美、群れの幸せ、友人また家族を大事にするのに、何故他のこと一切には全く目を瞑ってしまうのか?私の革命はあなたの100円玉よりも劣っているのが現実だということは知っている。
かくれんぼは放課後からずっと終わりなく続けられ、あなたの輪の中でずっと死ぬまでその遊びは終らない。わんやわんやと掛け声や整列の威圧的強制、なんて権威的でつまらないんだろう?と思った。私は私自身のことを自分で判断し、善悪も遊びも時間割も、何をやるかすべて自分で決めたかった。
「革命なんてどうでもいいよ、私は私で幸せだから、分からないことなんて見たくも聞きたくもない。」
まわりの探究心のなさはより一層私を孤独にさせた。私は放課後の遊びには参加せず、学校を途中で抜け出し、高速道路のフェンスの上を見上げながら、住宅街であらゆるものを威嚇し、軽蔑しながら、あまりに無力な自分に腹がたち、アスファルトにゲロを吐き、安全な校庭で遊ぶよりも私はもっと危ないところに身を置いて遊ぶことを子供ながらに望んだ。幾つもの革命を夢見た。その時はただの夢物語だった。私がいくら腹を立ててもまわりは不動であることは分かっていたし、永遠に私は救われることはないだろうと思った。ユートピアなんて幾ら歩いてもどこにもあるはずがなかったし、ただの一人ののけ者にすぎなかった。私の本当にやりたい遊びには誰一人として参加しなかった。のけ者から脱出し、とにかく強くなりたかった、強くならなきゃ救われることなんて絶対にあり得ないとまず一番に思った。
強くなること?出世?お金?名誉?友達を増やす?ものを手に入れる?組織で頂点に立つ?どれを並べ立てても、より一層空しくなった。ますます寂しくなるばかりだった、生きている意味なんて全く何も見つからなかった。そして、当然のように本来の世界はこんなところにないんじゃないか?という妄想に取り憑かれた。これは社会的にみれば落伍以外のなにものでもないだろう。だが、落伍しないものは怠慢でしかない。
私は私の牢獄を彷徨いつづけ、何百回も悪夢を繰り返し体感し、救い難く、魂は擦り減り、光は見えず、泣くことも喚くことも怒ることも、すべては自分が無力ということの実体験であり、具体的な日々の証明でもあった。
革命はいつの時代であろうとも敗北する運命なのだろうか?
私も私の革命に敗北するのか?
私たちは革命という「夢物語」に騙され続けた。ルイ=フェルディナン・セリーヌは夜の果てへの旅を執筆し、独自の文体を手に入れ、あらゆる「社会」に絶望し、一握りの望みを託してソビエトに発ち、熱狂と純粋な眼差しを従えて「革命」を視察した。石井恭二氏が指摘するように、革命とは名ばかりの「官僚制全体主義社会」にセリーヌは「革命」なんか見いだせるはずもなかった。
「共産主義の魅力、正直認めて莫大な功績は、私たちの前に、やっと「人間」の仮面剥いで見せてくれたことだ!人間から言い訳を取り除いてしまったことだ。何百年にもわたって私たちは騙されつづけたきたのだ、そいつに、人間に、その本能とか、苦しみとか、ご大層な目標とか呼ばれるしろものに…たわいもない夢をみさせられ…底なしだ、穴蔵みたいに、どこまでもこいつは、人間は私たちを騙くらかすか!…大いなる謎。こいつは常に警戒を怠らない、用心深く身を潜めて、取っときのアリバイのかげに。つまり「強者による搾取」。これなら天下ご免、文句のつけようのない…。憎むべき制度の殉教者!キリストと同格!」
(懺悔 ルイ=フェルディナン・セリーヌ 生田耕作訳)
セリーヌは革命とは名ばかりの共産党の搾取に絶望した。
スターリンのような腐ったオツムは今でもどこにでも目にする。
人間は人間をなぎ倒すことしか考えない。
プロレタリアート対共産党、ファシズム、国粋主義、アナーキズム、マオイスム…イデオロギーを支持することは、対立したイデオロギーをひねり潰すためにあり、その対立したイデオロギーを消し去っても、また新たな蛆がそこいら中に涌く。その意味でイデオロギーの対立が何かを救ったことなんて一度もないし、あらゆるイデオロギーが機能することはあり得ない。ドゥルーズが指摘する「装置」や「機械」としての機能を携えるだけであり、あらゆる人びとは登場人物でなく、観客として、その光景を指をくわえて見つめるだけに留まる。何もかも見失った社会は、めくらのように機械的都市を彷徨い、お互いがお互いを気付くこともなく、機能を失った「無実体」としてしか存在しない。「無実体」は錯誤された似非の空間の中に死体のように蔓延り、見捨てられた死体の山は海岸で積み上げられ、肉体は泥に塗れ沈殿し、窒息する。無実体化された原野での視覚認識は記号化されたそれぞれを最小単位で限りなく再生産し、殆どミクロにまで陥れられてしまった、人と人のそれぞれの目は、あらゆる言語表現、物体認識、空間把握構成事物を無稼働のまま、瓶の中に押し込め、無感動化(アパシー)された社会となる。そこに集められたひとつの知識はゴシップよりも醜く、酷い。その意味で知識はウイルスであったといえ、我々は感染されたまま、一個の死体となってしまったのではないだろうか。
「20世紀に甕の中から発見されたグノーシス文書は言っている、世界を知った者は一個の死体を発見した、彼は世界にふさわしくないのだと。そうであるなら彼にはふさわしくない世界は一個の死体になったのではないか?」鈴木創士氏
死体を死体として遺棄しておくべきか否か?
ここに革命の観点がある。
私はあらゆる政治的革命を全く何も評価していない。それは革命ではなく、権力の鞍替えにすぎない。何もしていないことと同じであり、その意味でマルクスは無視するし、唾を吐く。私はアントナン・アルトーの目の中に火を見つけた。アルトーの革命的照準は全く正しいものであった、アルトーは火を自らの手で燃やし解放し、運んだ為に火傷し、プロメーテウスから火を奪い、ロデーズで取り憑かれたようにノートに書き連ね、火と運命を共にした、その破壊的二次元性は聖パトリックの杖の火花に象徴され、「ロトと娘たち」のあの火はアルトーの生そのものである。火は死を殺め、肉体を曝け出し、電波と闘い、呪いを告発し、生を消耗した。アルトーの後期の著作は火と共に生きた非常に明晰で激怒による闘いであり、これ以上の記録は他にはない。
しかし、火が空間を変貌させることはない、火は原始からの処罰であり、火を我々は無視しなければならない。火は革命から最も遠いところにあり、火を操ってるうちは、革命はあり得ない。火を捨てろ!処罰を受け入れ、家を粉々に壊せ!原始人に戻れなんて言ってるわけではない、むしろ私たちは新しい人類にならねばならないのだから。視覚に騙され続けたわけだから、光を誰も認識出来るわけがない!光を革命し、空間を創出する!
宗教裁判大審問的な処罰!悪魔対天使、聖灰、すすり泣き、光学は、人体のやえ歯を研ぎすまさして、歯が時空を彷徨って、飛び散った子宮は石灰塗りの廊下を往復していた、思わず笑い、精神神経科の先生に話していた。「まったくの妄想です。」と彼はいつものように言って、乾いて固まった血のように見えた。人生は何と妙なものだろう、窒息、杖を振りかざし、ヘロインのほうに手をのばし、蒸留水は腐ってて、陽陽陽光々、はさみをもって試しに空間をきってみたら、折り鶴が出て来て、そいつは立体でなく、二面的でポリゴンみたいだった、腐った時間厚ぼったい時間、病気になった時、トマスアクィナスの無神学大全を逆さまに読んで、窓を閉めて、横になって、昼間扮していた人物の属性は間違ってると思った。何を喋ってるのか完全に理解した!はじめに言葉はなかったし、言葉なんていつでも簡単に捨てられる!!カタリ派ともマニ教ともグノーシス的運命は辿らない、一線を画する。平方根、刺が真ん中に刺さった円周率、差別的空想的で概念なんてクソ食らえ、並立は喋るやつなんてみんなヤクザだ、確率は燃やせ、時間を慰め給え、病は内部をすべて蝕んでいた、アルトーがいう呪いはすべてを蝕んでいた、呪いを告発する以前より、光はどこにも見当たらなかった。
もはや、書くことは歴史を完全に捨てる行為においてのみ成り立つだろう。
「今こそ主よ、あなたはこの僕をして、わたしの目がもうあなたの救いを拝見しましたからです。この救いこそ、あなたが全人類のため、その目の前で、用意されたもの、異教人には啓示を、あなたの民イスラエルには栄光をあたえる光であります。」ルカ229ー232
いや、光に対する認識は誤っていた!!!光は世代的機械を介在し、空間を根こそぎひっくり返し、私たちは光に対する人類最初の実習及び解剖を始めよう!!
私たちは本来の光によって導かれ、光学的革命のヴィジョンを獲得する。
革命の敗北なんか認めるわけがない!
本来の光による、超空間の創出を急務とせねばならない!
陽は射して、光明はあなたたちの一辺倒な視覚を蔑ろにし、ズタズタに切り裂かれたビニールの裏側では、聖パトリックの予言書と共に、物質の粒子をすべて掻き集め、スクラップの電子的記号器官の山が積み上げられ、老いたる海が死んだ粒子の山を一掃して、光を改革するだろう。
イリュミナシオンは映画のための映画などではない。すべて活動のための、光学的革命のための、指針にすぎず、始まりにすぎない。イリュミナシオンは光に裏切られた人類の闘争、序章の記録である。
すでに自分自身で解決し、諦め、革命という選択肢を捨ててるんじゃないだろうか?
生活の向上、労働意欲の賛美、群れの幸せ、友人また家族を大事にするのに、何故他のこと一切には全く目を瞑ってしまうのか?私の革命はあなたの100円玉よりも劣っているのが現実だということは知っている。
かくれんぼは放課後からずっと終わりなく続けられ、あなたの輪の中でずっと死ぬまでその遊びは終らない。わんやわんやと掛け声や整列の威圧的強制、なんて権威的でつまらないんだろう?と思った。私は私自身のことを自分で判断し、善悪も遊びも時間割も、何をやるかすべて自分で決めたかった。
「革命なんてどうでもいいよ、私は私で幸せだから、分からないことなんて見たくも聞きたくもない。」
まわりの探究心のなさはより一層私を孤独にさせた。私は放課後の遊びには参加せず、学校を途中で抜け出し、高速道路のフェンスの上を見上げながら、住宅街であらゆるものを威嚇し、軽蔑しながら、あまりに無力な自分に腹がたち、アスファルトにゲロを吐き、安全な校庭で遊ぶよりも私はもっと危ないところに身を置いて遊ぶことを子供ながらに望んだ。幾つもの革命を夢見た。その時はただの夢物語だった。私がいくら腹を立ててもまわりは不動であることは分かっていたし、永遠に私は救われることはないだろうと思った。ユートピアなんて幾ら歩いてもどこにもあるはずがなかったし、ただの一人ののけ者にすぎなかった。私の本当にやりたい遊びには誰一人として参加しなかった。のけ者から脱出し、とにかく強くなりたかった、強くならなきゃ救われることなんて絶対にあり得ないとまず一番に思った。
強くなること?出世?お金?名誉?友達を増やす?ものを手に入れる?組織で頂点に立つ?どれを並べ立てても、より一層空しくなった。ますます寂しくなるばかりだった、生きている意味なんて全く何も見つからなかった。そして、当然のように本来の世界はこんなところにないんじゃないか?という妄想に取り憑かれた。これは社会的にみれば落伍以外のなにものでもないだろう。だが、落伍しないものは怠慢でしかない。
私は私の牢獄を彷徨いつづけ、何百回も悪夢を繰り返し体感し、救い難く、魂は擦り減り、光は見えず、泣くことも喚くことも怒ることも、すべては自分が無力ということの実体験であり、具体的な日々の証明でもあった。
革命はいつの時代であろうとも敗北する運命なのだろうか?
私も私の革命に敗北するのか?
私たちは革命という「夢物語」に騙され続けた。ルイ=フェルディナン・セリーヌは夜の果てへの旅を執筆し、独自の文体を手に入れ、あらゆる「社会」に絶望し、一握りの望みを託してソビエトに発ち、熱狂と純粋な眼差しを従えて「革命」を視察した。石井恭二氏が指摘するように、革命とは名ばかりの「官僚制全体主義社会」にセリーヌは「革命」なんか見いだせるはずもなかった。
「共産主義の魅力、正直認めて莫大な功績は、私たちの前に、やっと「人間」の仮面剥いで見せてくれたことだ!人間から言い訳を取り除いてしまったことだ。何百年にもわたって私たちは騙されつづけたきたのだ、そいつに、人間に、その本能とか、苦しみとか、ご大層な目標とか呼ばれるしろものに…たわいもない夢をみさせられ…底なしだ、穴蔵みたいに、どこまでもこいつは、人間は私たちを騙くらかすか!…大いなる謎。こいつは常に警戒を怠らない、用心深く身を潜めて、取っときのアリバイのかげに。つまり「強者による搾取」。これなら天下ご免、文句のつけようのない…。憎むべき制度の殉教者!キリストと同格!」
(懺悔 ルイ=フェルディナン・セリーヌ 生田耕作訳)
セリーヌは革命とは名ばかりの共産党の搾取に絶望した。
スターリンのような腐ったオツムは今でもどこにでも目にする。
人間は人間をなぎ倒すことしか考えない。
プロレタリアート対共産党、ファシズム、国粋主義、アナーキズム、マオイスム…イデオロギーを支持することは、対立したイデオロギーをひねり潰すためにあり、その対立したイデオロギーを消し去っても、また新たな蛆がそこいら中に涌く。その意味でイデオロギーの対立が何かを救ったことなんて一度もないし、あらゆるイデオロギーが機能することはあり得ない。ドゥルーズが指摘する「装置」や「機械」としての機能を携えるだけであり、あらゆる人びとは登場人物でなく、観客として、その光景を指をくわえて見つめるだけに留まる。何もかも見失った社会は、めくらのように機械的都市を彷徨い、お互いがお互いを気付くこともなく、機能を失った「無実体」としてしか存在しない。「無実体」は錯誤された似非の空間の中に死体のように蔓延り、見捨てられた死体の山は海岸で積み上げられ、肉体は泥に塗れ沈殿し、窒息する。無実体化された原野での視覚認識は記号化されたそれぞれを最小単位で限りなく再生産し、殆どミクロにまで陥れられてしまった、人と人のそれぞれの目は、あらゆる言語表現、物体認識、空間把握構成事物を無稼働のまま、瓶の中に押し込め、無感動化(アパシー)された社会となる。そこに集められたひとつの知識はゴシップよりも醜く、酷い。その意味で知識はウイルスであったといえ、我々は感染されたまま、一個の死体となってしまったのではないだろうか。
「20世紀に甕の中から発見されたグノーシス文書は言っている、世界を知った者は一個の死体を発見した、彼は世界にふさわしくないのだと。そうであるなら彼にはふさわしくない世界は一個の死体になったのではないか?」鈴木創士氏
死体を死体として遺棄しておくべきか否か?
ここに革命の観点がある。
私はあらゆる政治的革命を全く何も評価していない。それは革命ではなく、権力の鞍替えにすぎない。何もしていないことと同じであり、その意味でマルクスは無視するし、唾を吐く。私はアントナン・アルトーの目の中に火を見つけた。アルトーの革命的照準は全く正しいものであった、アルトーは火を自らの手で燃やし解放し、運んだ為に火傷し、プロメーテウスから火を奪い、ロデーズで取り憑かれたようにノートに書き連ね、火と運命を共にした、その破壊的二次元性は聖パトリックの杖の火花に象徴され、「ロトと娘たち」のあの火はアルトーの生そのものである。火は死を殺め、肉体を曝け出し、電波と闘い、呪いを告発し、生を消耗した。アルトーの後期の著作は火と共に生きた非常に明晰で激怒による闘いであり、これ以上の記録は他にはない。
しかし、火が空間を変貌させることはない、火は原始からの処罰であり、火を我々は無視しなければならない。火は革命から最も遠いところにあり、火を操ってるうちは、革命はあり得ない。火を捨てろ!処罰を受け入れ、家を粉々に壊せ!原始人に戻れなんて言ってるわけではない、むしろ私たちは新しい人類にならねばならないのだから。視覚に騙され続けたわけだから、光を誰も認識出来るわけがない!光を革命し、空間を創出する!
宗教裁判大審問的な処罰!悪魔対天使、聖灰、すすり泣き、光学は、人体のやえ歯を研ぎすまさして、歯が時空を彷徨って、飛び散った子宮は石灰塗りの廊下を往復していた、思わず笑い、精神神経科の先生に話していた。「まったくの妄想です。」と彼はいつものように言って、乾いて固まった血のように見えた。人生は何と妙なものだろう、窒息、杖を振りかざし、ヘロインのほうに手をのばし、蒸留水は腐ってて、陽陽陽光々、はさみをもって試しに空間をきってみたら、折り鶴が出て来て、そいつは立体でなく、二面的でポリゴンみたいだった、腐った時間厚ぼったい時間、病気になった時、トマスアクィナスの無神学大全を逆さまに読んで、窓を閉めて、横になって、昼間扮していた人物の属性は間違ってると思った。何を喋ってるのか完全に理解した!はじめに言葉はなかったし、言葉なんていつでも簡単に捨てられる!!カタリ派ともマニ教ともグノーシス的運命は辿らない、一線を画する。平方根、刺が真ん中に刺さった円周率、差別的空想的で概念なんてクソ食らえ、並立は喋るやつなんてみんなヤクザだ、確率は燃やせ、時間を慰め給え、病は内部をすべて蝕んでいた、アルトーがいう呪いはすべてを蝕んでいた、呪いを告発する以前より、光はどこにも見当たらなかった。
もはや、書くことは歴史を完全に捨てる行為においてのみ成り立つだろう。
「今こそ主よ、あなたはこの僕をして、わたしの目がもうあなたの救いを拝見しましたからです。この救いこそ、あなたが全人類のため、その目の前で、用意されたもの、異教人には啓示を、あなたの民イスラエルには栄光をあたえる光であります。」ルカ229ー232
いや、光に対する認識は誤っていた!!!光は世代的機械を介在し、空間を根こそぎひっくり返し、私たちは光に対する人類最初の実習及び解剖を始めよう!!
私たちは本来の光によって導かれ、光学的革命のヴィジョンを獲得する。
革命の敗北なんか認めるわけがない!
本来の光による、超空間の創出を急務とせねばならない!
陽は射して、光明はあなたたちの一辺倒な視覚を蔑ろにし、ズタズタに切り裂かれたビニールの裏側では、聖パトリックの予言書と共に、物質の粒子をすべて掻き集め、スクラップの電子的記号器官の山が積み上げられ、老いたる海が死んだ粒子の山を一掃して、光を改革するだろう。
イリュミナシオンは映画のための映画などではない。すべて活動のための、光学的革命のための、指針にすぎず、始まりにすぎない。イリュミナシオンは光に裏切られた人類の闘争、序章の記録である。
魔術的手記
http://www.flickr.com/photos/yoknapatofa/5570715136/
http://www.flickr.com/photos/yoknapatofa/5570715170/
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photo by yokna patofa
「人間は不在である、そしてしかし、その時、風景の中にすべてがある」(セザンヌ)
最初にあの地を見たとき、その指し示した先に何があったのかは朧げでおまけに日も暮れようとしていた、土流の雪崩と、砂と海水、コンクリートと粉塵、あらゆる現実態は「波」に呑込まれ可能態へと一瞬にして変貌し、それらを認めることは我々の足を失うことになるだろう。実際に歩き回れば回る程、機能性を剥がされたし、私たちも例外なくそこではただのアリストテレス的「マテリアル」として晒され、自身に錯乱が接近し、決して裏切ることのない秩序は、砂漠で息絶えた動物たちの骨のようにそこら一帯に散りばめられ、ある種の催眠状態すら巻き起こす。ここに立つことで、この崩壊の過程において、生はほんの一瞬においてさえも、決してそこから逃れさせてはくれないのだ。
太陽の熱によって溶けた不文律
あらゆる記号的、名の喪失
地べたに這いつくばり
その層を手探りで掘り、探求すると
すべての生命体は涎を流し
古代からすでに末世であった
「天災」ではなく「侵略」のようなものを体感したし
「侵略」であるとするならば
「侵略」したのは一体誰なのか?
開拓し、旗を建て、偶像で取り囲まれた
水没した微粒子が運びさっていくかのように
跳躍する光が消え去り
困惑しているあの子を見た。
あの子は土に塗れていた。
すべて洗い流された後のフィルムにあの子は写っていた。
笑みも浮かべていなかったし、無表情というわけでもなかった
ざわめき、喋り声、あらゆる声、を掻き消した顔がそこにあった。
沈黙は炸裂しながら飛びかかり
夜明けの兵士は突如として灰にした
消え去るべきとき
常規の脱した震撼が
絶えず生を窒息させてきたクズどもが
うようよと死体よりも図々しく踏み荒らし
死にぞこなった様々な細胞、破滅的空虚の最中
「出来事」は「侵略」となるのであるから
私は「侵略」を告発するものとしての
創造者として常にありたい。
これは「出来事」にヒルのように貪りついて離れない
糞ったれどもを発覚させるためである。
私はこの不純の「侵略」に対する激しい怒りによって
奴らをブルトーザーのようなもので一掃し、完全に口を密封することである。
「マテリアル」の形相が何であるか解明することは難しい、白い尾びれのようなアウラが地軸を解剖し、天体を覆い、 物体的即物価値、あのうっとりするような時間融解装置へと誘う、大きな未知の笑いに包まれた不自動律非居住地帯と変貌し、そこに召還されながら、息をしているか常に疑いながら
中心にあるあの崩壊を弄ぶようにと。随分と色んなところから奴らは、「生の場所」へと辿り着こうと、べらべらとくっちゃべりながら性懲りもなく土足で踏み入り、痰をまき散らしたもんだ!
私はアルトーの思考不能性を転用し、ある種の極限にある「生の場所」で、生は決して止められはしないのであるから、ある文法(それは特殊領域における、身振り、生の場所で行われる魔術的秘技である)を発明し、突き射す、表面的な記憶はただ邪魔なだけだ、この混沌は理性と非理性の狭間で、レトリックを並立の板に踏みならし、瓦礫の中で淫売を奴らに擦りつける。
すべてはたちどころに沸騰した鍋の中のように
パトスは世界の記憶を食らいつづけ
科学を髪を逆立てるように感覚的に反逆させ
地中も、天体的波動も、あらゆる存在も胃袋の中に
平均台の上で、踊っている木乃伊に
日が照り、腐敗していく過程を
奴らの目の中へと侵入させ暴れ回る
檻の中の腹が鳴り飢えた
私の創造の動物たちが
サーカスの観客席で
自由気ままに暴れまわるのを夢見る
絶えず産出し続ける社会の幻影により
常に窒息しているわけであり
これを塞き止めるのは照射のような
モーゼのような出来事を超越した瞬間しか
侵略は阻止出来ず(移住するところなど何処にもないのであるから)
かと言ってこの時代の麻痺への道程を
針の筵で眺めることしか術がないようにも思えるし
そんなことはとうの昔に気付いているのだ
あらゆる「出来事」に対する言説は八つ裂きにされ
白痴が見たものとして描かれた物語で溢れ
まったく直線的にレーザー光線のように光を捉えるものは
これは秩序の中にも無秩序の中にもなく
その間の亀裂に唯一見いだされ
声を失った時にゆっくりと発見するだろう
あの灼熱の午後の太陽がゴッホの手助けとなったように
その光景を触覚がフィルムへと浸透させ
未知の迷路の構造のなかで、そもそもあり得ない回り道をし
あらゆる「侵略」を渦の中へと放り投げて
洗濯機の中心のようにぐるぐると回り
降下し、混ざり合い、ばらばらになったフィルムが
水の奥深くでそのうち何者かの手によって発掘されればいいだろう
「いいえ、確かに、それは、崩壊以前からそこにあったものです。」
「そこで私は介入せずに、ずっと見ていた。」
コントロールしようと、手玉にとろうと思った瞬間に、出来事はメスを持って襲いかかってくるし、出来事は極限の「生の場所」でしか記憶され得ない。それ以外はすべて侵略にすぎない。その意味で騙され続けているわけだし、この出来事に対するあらゆる言説は全く何も信用するに値しない。
あらゆる「侵略」を奪還せねばならない!
それは目でみたもので為されるわけではなく、この裏側の取引にてのみ緩やかに動きだし、秘技において稼働させ、「生の場所」へと遊導し、目を瞑ったとしても、「出来事」はそこでは「出来事」としてあり続けるのだ!
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