2011年11月7日月曜日

霊性と情報 カイエ 


「すべて、本物の肖像は、その霊を持っていてそれに裏付けられている。アントナン・アルトー」


「心の観念と、口を通じて生み出される音の間には、精神と肉体、天と地の間にあるのと同じだけの隔たりがある。にもかかわらず、これほど互いに隔たった事物を結びつけているのは、いったいいかなる「不可知の紙帯」なのであろうか。ハーマン」


「われわれを取り囲む忌まわしい諸制度、
祖国、家庭、社会、精神、概念、知覚、感覚、情動、心、魂、
科学、
法、正義、権利、宗教、観念、御言葉、言語活動が
維持されるのは魔術によってである、というのも実際にはそれらは消え去り、もはやいかなる現実的なものにも一致していないからだ。
アントナン・アルトー」

「(人間)はさらに上へと急ぎ、第一の層には増減の作用を、第二の層には悪のたくらみを、計略を、無作用のまま、第三の層には欲望の欺きを、無作用のまま、第四の層には支配の顕示を(もう)願わしくないまま、第五の層には不遜の勇気と敢えてする軽卒を、第六の層には富の悪しき衝動を、無作用のまま、第七の層には隠れ潜んだ虚偽を返す。…ヘルメス文書 「ポイマンドレース」


「そもそも私たちは、律法は霊的なものであることを知っている。しかし私は肉的な者であり、罪のもとに売られてしまっている。私は、私が行為されていることが分からない。なぜならば、私は自分が欲していることを為すこともせず、むしろ自分が憎んでいることを行っているからである。もしも私が自分の欲していないことを行っているとするならば、(その判断を律法に従っているのであるから、)律法が良いものであると認めていることになる。しかし今や、もはや私がそれを行為しているのではなく、むしろ私のうちに住んでいる罪が(それを行為しているのである(ローマ人への手紙、七章)」

「光の多化はなんら他の運動に依存しないのだから、そこでわれわれは天が静止し、運動が存在しないと仮定しよう。なぜなら天が静止すれば光の多化は充分よくなされるからである。そして人びとが信仰しているように、もし天が将来静止すれば、世の終わりにそれ(=瞬間的伝播)が生ずるだろうと。従ってもし光の多化が瞬間的であり、時間的でないとするならば、時間なしに瞬間が存在するであろうと、いうのは、時間は運動なしには存在しないからである。しかるに瞬間が時間なしに存在するのは不可能であって、ちょうど点が線なしに存在しないのと同様である。従って、「光が時間において多化し、可視的事物と聴覚器官との形象すべても同様である」ことが、(論理的帰結)として残される。しかしそれは視覚器官によって感覚可能かつ知覚可能な時間においてではなく、感覚されない時間においてである。というのは、人は誰でも経験していることだが、光が東から西へ生じているような時間を知覚しないからである。(ロジャーベイコン)」


「資本主義の脱領土化は恒常的な再領土化を要請する、と。資本は、みずからの運動原理によってその原理が行使される空間を均質化するために、主体的で領土的な同一性の常なる隆起を要求するのであり、これらの同一性は、結局は、市場に単一形式的な特権を与えようとして、自分も他の同一性とまったく同じ資格で陳列されることを要請しているにすぎない。一方における一般的等価物をめぐる資本主義的論理と他方における共同体あるいは少数派の同一性と文化の論理は、接合された(全体)集合をともに形成する。ジル・ドゥルーズ」



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